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忌野清志郎の天才的な音楽と原発 [音楽]



小崎 哲哉様

On 2011/03/27, at 1:31, Ozaki Tetsuya wrote:
お返事ありがとうございました。
清志郎は何流でしょうか? ^^)

リクエストありがとうございます(笑)。

清志郎は《超一流》です。

サザンの桑田が、《6流》であるのに対して、
RCの清志郎の音楽性は《超一流》で非常に高いのです。
それは同時に意識の広さと関連があるのです。



人間には、意識の狭い凡人と、
広い天才がいます。

意識に狭い凡人は、《第6次元》という直接的な生活世界だけを生きています。

フッサールが言った《第一次生活世界》というのが、
凡人の《6流》の世界です。

東京電力も、日本の政府も、日本国民の大多数も、《6流》の凡人で意識が狭かったのです。
みんな凡人であったので、原発の危険性を無視して、
今回の、広島、長崎につづく福島の「3回目の被爆」の悲劇になったのです。



意識の狭い凡人は、現実の深さと危険性を直視することから逃げます。

今でも、原発の危険性と、放射能の危険性、そして被爆した子供の悲劇を、
理解することから逃げているのです。

嫌な事、見たくない事から逃げずに、事実を事実として直視をすると、天才になるのです。

凡人が意識を拡張すれば天才になるのであって、嫌な事から逃げなければ凡人は卒業できるのです。

意識の拡張は、楽な事ではありませんが、望めば、誰にでもできるのです。しかし多くの人は、広い視野を持つ事が嫌なのです。





《6流》の凡人の人々は、音楽や美術に対する理解も浅いのです。深い芸術性が理解できません。正確には、深い芸術性が理解できないのではなくて、理解したくないのです。多くの人は芸術を見たくなくて、眼をそらし、目を閉じているのです。

それに対して、清志郎の音楽ですが、意識が非常に広い天才で、《超一流》の超次元から、第50次元までがあります。

桑田は凡人で、第6次元という単層しかないのに対して、清志郎は超次元から50次元までの多層がある天才であったのです。

つまり天才清志郎は、凡人桑田の約50倍の意識の多層性をもっていたのです。

しかしその中で《1流》である《第1次元》の社会的理性領域だけが清志郎には欠けています。

《第1次元》の社会的理性領域がないことによって、清志郎の音楽は、反体制的なカウンターカルチャーになっていたのです。

多くの人が清志郎の音楽を嫌いなのは、《第1次元》の社会的理性領域を欠いていたからです。




《第1次元》の社会的理性領域というのは、世間体であり、社会的通念です。

つまり反原発を歌った清志郎の視点は、実は《第1次元》の世間体領域には、
なかったのです。

清志郎の反原発の視点は、第41次元から50次元という、
《超一流》の多型倒錯した領域にあったのです。



第41次元の視点は、この世の危険性を直視する眼なのです。

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つまり桑田のように第41次元の無い人は、凡人です。

凡人である人々は、危険性を見ないのです。清志郎が歌っているように「逃げ腰」の人々が、日本人の多数派なのです。

凡人ある日本国民の大多数は、原発の危険性を無視したのです。

「みんなで無視すれば、原発は怖くない!」というわけです。

福島原発は、日本人みんなが凡人であったことの悲劇です。

「みんなで被爆すれば、放射能は怖くない!」と、今も思っているのでしょう。


日本亡国の悲劇は、日本人みんなが凡人であったから生まれたのです。

いや、違います。

危険性を予知する能力のある天才を無視して、排除したから、

悲劇が生まれたのです。

日本社会は、凡人と天才という人間の多様性を、うまくミックスできなかったから、今回の原発事故を生み出したのです。リーダーに超一流の人物を入れておかないと、危機管理ができないのです。

天才を排除しては、駄目なのです。

日本社会が、天才を有効活用するシステムをとらないといけないのです。




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